Q1:寺野東遺跡とは、縄文時代のいつ頃の遺跡ですか。
A1:寺野東遺跡自体は、旧石器時代から歴史時代までの遺跡で、縄紋時代としても草創期後半から晩期中葉までの遺物が出ています。環状盛土遺構に関して言えば、縄紋時代の後期前半から晩期中葉までの遺構と捉えています。
Q2:環状列石との関係
A2:寺野東遺跡と環状列石について、直接的な関連は窺えません。但し、環状列石の中には盛土が認められるものもあり、相互の関連は不明な部分が多いものの、今後の研究課題と言えます。
Q3:千葉県君津三直貝塚の環状盛り土遺構との関係
A3:三直貝塚の環状盛り土遺構は、寺野東遺跡環状盛土遺構と同種の遺構と考えられます。
Q4:北海道の環状土矍との違い
A4:環状土矍は、明らかに墓として短時期につくっているものであるのに対して、寺野東遺跡の環状盛土遺構は、長期間かけてつくられているもので、かつ確実に墓と言える部分はなく、集落の一形態と考えています。
詳細については、以下の文献を参照して下さい。
・栃木県教育委員会・小山市教育委員会・(財)栃木県文化振興事業団1994『寺野東遺跡発掘調査概要報告』栃木県埋蔵文化財調査報告書第152集
・栃木県教育委員会・(財)栃木県文化振興事業団1997『寺野東遺跡・-縄紋時代 水場の遺構・環状盛土遺構編』栃木県埋蔵文化財調査報告書第200集
・「寺野東遺跡環状盛土遺構の類例」『研究紀要』第7号 1999栃木県文化振興事業団埋蔵文化財センター
※文章中、縄文と縄紋の2種類を使用していますが、これは間違ったわけではありません。現在は縄文の字を多く使用していますが、縄の紋様だから紋の字を使用するべきという学説もあり、統一されていないのが現状です。回答は、こうした状況をご紹介する意味も含めて、併記してみました。
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