ご質問ありがとうございます。調査いたしました結果と、ご質問にお答え致します。
1.小山市に既に上記のような遺跡、貝塚の存在がありますか?
小山市に所在する遺跡の登録数は446遺跡あり、そのうち思川沿いにあるものは、115遺跡になります。また、115遺跡中、縄文時代のものは61遺跡です。従いまして、残念ながら、上記話だけでは遺跡を絞り込むことは出来ませんでした。大字(出来れば小字)もしくは住所番地等御連絡いただければ、具体的なお話しが出来ることと思います。なお、小山市内に貝塚は確認されておりません。
2.従姉の話が歴史的調査の対象になりますか?
上記1でお話し致しましたとおり、地名・地番等が不明ですと、現実的な話になりません。歴史的調査、特に考古学は、土地に存在する(存在した)遺跡と、そこから出てくる(出てきた)遺物(出土品)が資料対象に成ります。ですから、広域的に小山市の思川周辺と言うだけでは、聞き取り調査の対象には成り得ません。
これは、遺物(出土品)にも言えることで「どこの遺跡からどのように出土した」が分かりませんと、日本国から出土した何々時代の遺物という括(くく)りになってしまいます。
日々行われている発掘調査では、それを資料化するため、出土位置・高さなどを緯度経度と標高を基準にしながら、cm単位の精度で記録しているのです。
お話しの中にありました
「6.その土器の形、大きさは
1.ご飯茶碗のような形の直径15cm、斜めの縄模様があった。
2.壷、高さ30cm程、胴体部には帯状の斜め模様が交差。」
は、該当する土器が、縄文時代後期・晩期と弥生時代に存在しますので、やはり、遺跡の所在地がわかりませんと、コメント出来ません。
3.この様な話を伝えるべき機関・学者・愛好家等をご存知ですか?
以上、お話ししてきたとおり、もう少し詳しいことがわかりませんと、取り扱う機関等は無いものと思われます。むしろ、近代史研究で、戦時中の状況を伝える資料になるのかなと思われます。その場合も、地番・氏名・大まかな年月日が必要となりますが...。
歴史を資料的に残すと言うことは、「何時・どこで・だれが・何を・どうした」が必要になります。発掘資料は、それがわからないので、推定するデータを出来るだけ集める作業が必要になるのです。
S.nさんには、貴重なお話しをお知らせいただきましたが、以上の内容にて、御期待に添えない回答になってしまいました。もう少し詳しい内容をお聞きになり、御一報下されば幸いです。
お忙しい中、舌足らずな問合せに御対応くださりありがとうございました。早速、米国の従姉にこのE−Mailのコピーを送り詳細を問い合わせます。何か情報が届きましたら又連絡させて頂きます。その折はどうぞよろしく。
S.nさんより返信
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