イメージ 栃木県埋蔵文化財センター Tochigi Archaeological Reserch Center
ホーム
ホームQ&AコーナーQ.26 Q&Aコーナー
■メニュー
センター紹介
発掘作業
整理作業
保存処理作業
普及活動
各種ご案内
申請書ダウンロード
どき土器体験10
センターを見てみたい!
センターだより「やまかいどう」
周辺の史跡・施設
関連施設のご案内
施設紹介
発掘現場からのお知らせ
図書案内
Q&Aコーナー
リンク集

縄文時代にはパンや米などの食べ物はあったんですか??

小学生12歳 アーサーさん

<パンについて>
 現在わたしたちが食べているパンは、小麦粉をこね、イースト菌を混ぜて発酵させて、焼いたものです。このようなパンが縄文時代にあったかどうかはわかっていません。しかし、縄文時代の遺跡から、焼けこげたパンのようなものは発見されています。このパンのようなものは、何から作ったかははっきりとわかっていません。おそらく、クリやドングリなどの木の実の粉やヤマイモなどのイモ類をこね、焼いて作ったのではないかと考えられています。現在の考古学の研究では、発酵させたかどうかはわかりませんので、縄文時代の遺跡から発見されたものを「パン」と言いきることはできません。また、日本列島全体で1万年以上続いた縄文時代のうち、すべての時期、すべての地域でこのパンのようなものがあったかどうかもわかりません。今のところ、縄文時代中頃の東日本を中心にこのパンのようなものがあったことがわかっています。また、焼けこげたパンのようなものの中から、エゴマやシソなどの栽培植物の実が発見されています。これらは、香りをつけるために混ぜられたのかもしれません。
 なお、縄文時代の遺跡からは、焼けこげたクッキーのようなものも発見されています。これは、木の実の粉にけものの肉や卵を混ぜたものを焼いたと考えられています。これは現在のクッキー(小麦粉にバターなどを混ぜて焼いたもの)に近いものかもしれません。
<米について>
 水田を作って本格的な稲作をはじめたのは、弥生時代になってからと考えられています。しかし、その前の縄文時代にもイネがあったことが判っています。縄文土器にイネの籾(もみ)のあとが付いていたり、焼けこげたイネの籾(もみ)が縄文時代の遺跡から発見されています。また、縄文時代の遺跡の土を顕微鏡などで調べると、プラントオパールというイネに特徴的な細胞が発見されることがあります。しかし、縄文時代の人々は、植物採集、狩り、魚とりによって生活をし、水田を作った本格的な稲作はまだ始めていなかったと考えられています。ムラの周りに、イネ籾をまき、実ったものをかりとるといった、ごく簡単なイネ作りが、一部で行われていたと思われます。

このサイトについて個人情報保護について著作権・リンクについて各種お問い合わせ

Copyright©2006 Tochigi Archaeological Center. All rights reserved.