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縄文時代の名前の由来は?

学生 S・Aさん

「縄文時代」という名前は、「縄文土器が使われた時代」として名付けられました。 
 「縄文土器」とは、「縄文」という撚り紐(よりひも)を土器の表面に転がしてつけた文様が多くみられるので、そのように呼ばれるようになりました。
 明治時代になり、東京大学が作られると、外国人の学者をやとって、日本人学生に近代的な学問を教えました。そうした外国人学者の中に、エドワード.シルベスター.モースという動物学を専門とするアメリカ人の学者がいました。彼は、1877年(明治10年)に東京都大森貝塚を発掘調査し、その調査報告書(英文)を刊行します。これは、日本における最初の科学的な発掘調査といわれています。彼はその報告書の中で、大森貝塚から発見された土器に縄目模様があることから「cord marked pottery」と名付けます。これを後に日本人の学者がいろいろと日本語に訳しますが、その中で白井光太郎という学者が「縄紋」と訳しました。この名称が定着し、後に「縄文」と書かれるようになりました。(現在は、「縄文」と書く研究者と「縄紋」と書く研究者の両方がいます。)

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